立小便禁ず・考

〜副題 京と江戸との街角の違い〜

 京都にお越しになった方から、家の壁などの地面近くに小さな鳥居があるのを見つけて、何かと聞かれることがあります。どうやら京都特有のものらしく「立小便禁ず」を意味します。なにしろ神仏の加護を得てますから、人間だけでなく犬や猫にも効果があるとかないとか。この印、少なくとも明治の頃はあったようで、その意味合いからして多分江戸時代からのものでしょう。また、同様のものは江戸の町には無かったようです。
 こういう京都独自のものがあると、さすが京は風情があるとかなんとか早とちりする人がありますが、こうした独特の目印が生まれたのは、江戸と京とで立小便の事情が違ったからという大きな理由があると思われます。

 化学肥料登場以前、当然肥料は有機物でして、各地で様々なものが利用されました。人間の下肥を使ったのは東洋特有のものらしく、そのなかでも日本では先進地でした。わたしの推測交じりですが、おそらく鎌倉時代ごろに、京の都付近から始まったものと思われます。
 ただし、この下肥にまつわる技術が日本中で一様に広まるのは、明治政府が農民に全国一律に同じやり方を強制してからで、それまでは地方によって随分違いがありました。

 江戸近郊と上方とでもやはり大きく違いました。一番の違いは江戸近郊では小便を使い、上方は使わなかったのだそうです。そのため、江戸の町では、各家庭から回収する分のほかに、あちこちに私設の公衆便所がおかれたそうで、始末に困ることは無かったことでしょう。対して上方では、そうしたものがありませんから、必要に迫られれば、それに応じて立小便とあいなりました。
 しかし、それでは家屋や立ち木が傷みますから、字が読めなくても分かるような目印をつくる必要に迫られたのでしょう。
 ここに鳥居を使ったことには、やはりセンスの良さを感じますが、下肥利用について、上方が遅れていたことの名残でもありましょう。